ログとる

あっちこっちに目がいきます

お金のこと

ちょっと大学院生活に色んな意味で暗雲が立ち込めてきたので、生臭いのを承知でお金のことを書こうと思う。完全に私のための備忘録。

 

今のところの貯金...

R:280,000

M:220,000

 

9月末までの収入…

R:45,000

M:0

9月末までの支出…

R:55,000

M:10,000

 

10月末までの収入…

R:100,000

M:30,000

10月末までの支出…

R:30,000

M:10,000

 

10月末の貯金の理想

R:350,000

M:250,000

 

株の方も...

総資産で160,000になってると嬉しい...。

 

年末900,000が理想...

 

生臭いごめんなさい

2020年5月26日の生きづらさ

2020年5月26日

自分の今抱えている感情が生きづらさと言えると感じました。

 

何か普遍的なものを追い求めるものが学問であると「信じ」てきていて、ここにきてそうでないという価値観と出会う。

だけれど、考え方を一気に転換することはできなくて、個別性を重視する人々の中で、自分のことばの節々に「普遍性への志向」が見えてしまう。

自分の発信することがらが、周り人のカラフルなことばと比べて、唯一灰色で、くすんで、取り上げる価値のないものに見える。

物事の個別性・全体性を追い求める中で、固定的な見方として、推奨されない意見となる。

 

これまでも、しんどいな、つらいなと思うことは人並みにあったけれど、何かカテゴリ化された「生きづらさ」として認識したのははじめてかもしれません。

それは恐らく、「生きづらさ」に出会ってこなかったか、感じないような無意識の意識があったからかと思います。

人種、性などでもマイノリティにはならず、または「大学院生」のように一般的には権威性のあるマイノリティとして生きてきました。

それが、「学問」の「考え方」という、私にとっては生きる上で根幹にもなり得る部分に関して、自分がマイノリティである環境に身を置いています。

 

そこで、今、本当にいま思い付きで書いているんだけれど、人文学が人間の学問であり、何か生きづらさからの解放を謳っているのであれば、私の今感じている生きづらさも十分何かしらの分析対象にはなるのではないかと考えています。

 

きっと、今こうして生きづらさを感じている理由には、現在の状況だけでなくて、私の価値判断の置き方、成長過程におけるその価値判断の経緯など様々なことが関わっていると思います。

大きなコンテクストの中で、自分を相対化し、なぜ、いま、ここで生きづらいと感じるのか。

そして、その生きづらさから自分を解放するには、どのような考え方にもっていけばよいのか。またはどのような行動を起こせばよいのか。

今の苦しみ(おおげさかもしれないけれど)に加えて、これまで感じてきた何かしらの辛さは、どのように分析し得るか。

 

生きづらさに対して、何も感じないこと、無視することは今のわたしにはどうしてもできず、答えを求めてしまいます。

分析することで、そうした感情から自分を切り離し、客観化して問いに向かうことができれば良いでしょうか。

 

リベラルアーツを知らなかった私

こんにちは。

熱しやすく冷めやすい性格なので、久しぶりにブログを書いた昨日に続けて今日も書きます。

3日坊主になる気がする。

 

今日は大学院生色の強いブログ記事を書きます。

 

今、人類学関係の本を2冊並行しながら読んでいます。

人類学は私の専門ではないんだけれど、興味の対象が人間のコミュニケーションにかかわるものなので、自分の研究を人類学的にみたらこうと説明するだけの基礎的な知識は必要だと思っています。

これに関しては、対象としている現象がたまたま「人類学」という学問分野に今のところはいっていないという言い方が適切かとは思いますが。

 

わたしの興味の対象である言語は、学問が分化していく過程で、人間の独立した、自律的な能力として捉えられることが増えたようです(この見方も現在ではほとんどなくなってきたように思いますが、どこか根底にはこうした意識があるようにも感じています)(あるまじき態度かもしれませんが、個人の感想の範囲で述べさせていただくつもりで、ここでは出典等の明記はしません)。

私は、人間の言語能力に関して、言語を組み立てる能力だけではなく組み立てられた言語を扱う能力も含まれてよいと思っています。

言語を扱う能力とは、その場の状況を見極め、その人がやりたい行為に即して適切だと思われることばを発する能力であり、ゆえに環境からの様々な影響を受けます。

言語よりもそうした環境の方に重きを置いて分析をすると、確かにそれは「言語の分析じゃないじゃん」に見えることもあります。そういう立場の方もいらっしゃいます(この辺りは、思うところが沢山あって私の中でもまだ考えが熟していません)。

分野として分化してしまったので、人間のコミュニケーションを言語形式に力点を置いて説明するか、他の要素に力点を置いて説明するか、また他の色々なものによって、異なる研究分野になります。

また、力点を置くところが違うがゆえに、その分野で明らかにしようということがらも変わってくるのだと思います。

この辺りは私も不勉強なので、もしこちらを読んでくださった方でご意見があれば、遠慮なさらずに教えてください。

 

そんな私が自分の専門を言語学であると言い続ける理由としては純粋に「言語学」として扱われている現象や説明方法が好きで、納得できるものだと思っていて、そこに自分も寄与したいと考えているから。

何も考えずに使ってきた文法、語彙(と言語使用)が、実はとてもシステマティックで、しかもその直感を少なくとも母語話者は共有できているということの面白さに、魅了とまではいきませんが惹かれ続けています(ここは長くなりそうなのでいつかにまわす)。

 

それで、これまでも言語学の範囲内で活動をしてきたわけで、知識や考えは、言語学の潮流の中で形作られてきました。

このあたりから人類学の文献を読んでいる話と関わってきます。

 

文献を読む中で人類学の方とお話をさせていただくと、圧倒的な知識の幅の差に愕然とします。

哲学、歴史学、宗教学、言語学社会学…。

この人たちは人間を形作るものの全てを掌握しているのではないかと錯覚に陥るほどです(言い過ぎ)。

私も上にあげたような学問に興味はありますが、ミーハーなので、しっかり勉強せずに終わってしまいます。

ですから、さらっと上辺を撫でただけのような知識しかありません。

それぞれの分野の潮流も恥ずかしながらほとんど分かりません。

 

それで、どうしてこんなにこの人たちは色々と知っていて、考えがあって、自分のことばで説明できるのだろうと常々考えていたのですが、今のところ、私が大学時代に受けた教育が「言語学」と呼ばれる範囲に収まる事柄であり、学問が分野に分かれているという前提があったからというところに行きついています。

つまり、私は「言語学」をしていて、ほかの人も「〇〇学」をしている。なのにどうして、哲学、歴史学、宗教学、言語学社会学といった幅広い分野の知識を同じ期間で得ることができたの?という疑問でした。

 

無知な私にとって、つい最近までこの疑問がただの疑問でした。

それでやっと「リベラルアーツ」という概念を、音だけでなく意味として理解することになります。

古代ギリシアアリストテレス、自由七科…高校の世界史で「リベラルアーツ」と聞いて想起される語群です。

が全く本質的なところを理解しようとしていなかった。

 

(まだ付け焼き刃な知識ですが)

リベラルアーツとは、古代ギリシア・ローマに起源をもつ学問で、人を自由にするための学問、語義そのまま、リベラルな(自由にするための)アーツ(技)ということ。

生きづらさ・不自由さからといった何らかの縛りから、人間を解放し、人間として生きるための術を獲得する学問だと解釈しました。

そのため、一般に「文系」と呼ばれる、人間の本質的な部分を明らかにしようとする学問分野の全てが関わります。

私がなんでも知っていると思っていた方は、以前リベラルアーツを専攻されていた方で、文字通りなんでも知っていたのです。

分野に縛られることなく人間そのものに関して思考していたために、分野の概念があった私にとっては「色々な分野の知識がある人」に見えたということでした。

 

これだけのためにダラダラ書いてしまいましたが、私もこのリベラルアーツという考え方に大変興味があり、勉強してみたいと考えています。

ということで、インターネットで見つけた参考になりそうなサイトをここに貼って、今日は終わりにしようと思います。

https://liberal-arts-guide.com/

 

世界を知るのにはほんとに一生は短い。しかも時々怠惰な生活もしたいので、本当の本当に短い。

 

色黒だけどブルべのようです

こんにちは。

ふと思い立ってブログを更新してみます。

本当はこんなことをしている場合じゃなくて、

13時半からの授業で読む文献をあと半分読まないといけないのだけど...(院生)。

 

先日オンラインでパーソナルカラー診断を受けました。

自分の雰囲気(顔の色味や質感)から似合う色を

資格を持っている方に判断していただくというアレです。

目と手と顔の写真を送って、診断していただきました。

 

恐らく私はだれがみても色黒で、

色黒はたいていイエローベースだろうと思っていました。

勿論全ての色黒がイエベ(イエローベース)とは思っていませんでしたが、

好きな色がイエベ秋であることと、

イエベ秋のシックな感じに憧れていることから

イエベ秋だといいな...イエベ秋だろうな...と勝手に決めていました。

実際持っている服も、カーキ、くすんだオレンジ、ブルーグレー

とイエベ秋っぽい色が大半です。

 

それで、オンライン診断です。

自然光(=太陽光)の下で写真である必要があるので、

まず、ベランダで写真を撮りました。

アパートの2階、目の前には大通りに続く道があります。

大きな木があるので直接うちのベランダが見えることはなく

だいたいは隠れていますが、車で信号待ちをしている方が

ふと見上げると見えてしまうようなベランダです。

わたしはかなりその辺気にしない性格なので(下着も干しちゃう。太陽のにおい優先。)、

なるべく見た目の色と変わらないようにiphoneでパシャパシャと

何回か写真を撮りました。

カメラだとどうしてもピンクがかって見えてしまい、

見た通りの色に撮るのが意外と難しかったです。

 

その後、診断士さんに写真を送ると、ものの15分ほどでお返事が返ってきました。

この速さには本当に驚きました。

 

そして、結果...

 

ブルべ夏!!!!!

 

ああ、若干そんな気はしていたけれど...そうなのか...

 

そんな気はしていたけれどというのは、確かに私は色黒なのですが、

唇が鮮やかなローズピンクなんです。

オレンジリップを塗っても下にあるピング色の唇が透けてみえてしまうくらい、

地の色がはっきりしています。

肌の色は、日焼けが定着しやすいのですが、

小麦肌というよりも浅黒さが感じられます。

こういう訳で、自分はもしかすると色黒×血色が悪いブルべかもしれない

と内心思っていたということです。

 

その予感が当たってしまいました。

正直パステルカラーは苦手で、ブルべ夏のふんわりとしたはかなげな感じも

どこか好きになれない雰囲気です。 

それよりも、イエベ秋の大人っぽい女性らしさに惹かれますし、

秋っぽいくすんだ色味が大好きです(イエベ秋への執着...)。

 

とはいえ、結果は結果で変わるものでもないし、

知識と経験のある診断士さんが客観的にみた結果だと思い、

少なくともブルべ夏が一意見であるという前提を置きつつ結果を受け入れ、

そしてこの診断について一度考えてみようと思いました。

落ち着いた女性になりたいという願望は、もしかすると

私の子供っぽさを逆説的に証明しているのではないか?

つまり、フレッシュでソフトな印象(ブルべ夏的)が今の自分にあって、

それを自分自身で自覚しているからこそ、

対照的なイエベ秋に対する憧れが生まれているのではないか、

ということです。

(深読みしすぎではというご意見、甘んじて受け入れます。)

 

その後、診断士さんからブルべ夏に似合う色や、

メイクで使用すると良い色味などのファイルが送られてきました。

実際の商品でお教えいただけるのが大変参考になりました。

 

そんなこんなではじめてのパーソナルカラー診断だったのですが、

実は、他の方の意見も聞いてみたいと思い、

別方向で依頼をしているところです。

その結果は後ほど(他のことに押しつぶされず息があれば)書き留めたいと思います。

 

ところで、パーソナルカラー診断を受けて、

お洋服だけでなくメイクも変えた方が良いのかなと考えています。

まあ変えるもなにも、もともと薄~~~~いメイクなので、

ほんのり入れているリップ・チークの色を変えるくらいですが...。

今までは、コーラル系とでも言うのでしょうか、

ピンクがかったオレンジやベージュを使うことが多かったのですが、

これを機に青みの入った色を増やしてみようと目論んでいます。

あとは、ブルべが似合うとされているピンク系のメイクをして、

周りの人からの反応を見つつ調整かな、と。

この浅黒い肌が、そして印象が少しでも明るくなればよいなと願います。