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あっちこっちに目がいきます

リベラルアーツを知らなかった私

こんにちは。

熱しやすく冷めやすい性格なので、久しぶりにブログを書いた昨日に続けて今日も書きます。

3日坊主になる気がする。

 

今日は大学院生色の強いブログ記事を書きます。

 

今、人類学関係の本を2冊並行しながら読んでいます。

人類学は私の専門ではないんだけれど、興味の対象が人間のコミュニケーションにかかわるものなので、自分の研究を人類学的にみたらこうと説明するだけの基礎的な知識は必要だと思っています。

これに関しては、対象としている現象がたまたま「人類学」という学問分野に今のところはいっていないという言い方が適切かとは思いますが。

 

わたしの興味の対象である言語は、学問が分化していく過程で、人間の独立した、自律的な能力として捉えられることが増えたようです(この見方も現在ではほとんどなくなってきたように思いますが、どこか根底にはこうした意識があるようにも感じています)(あるまじき態度かもしれませんが、個人の感想の範囲で述べさせていただくつもりで、ここでは出典等の明記はしません)。

私は、人間の言語能力に関して、言語を組み立てる能力だけではなく組み立てられた言語を扱う能力も含まれてよいと思っています。

言語を扱う能力とは、その場の状況を見極め、その人がやりたい行為に即して適切だと思われることばを発する能力であり、ゆえに環境からの様々な影響を受けます。

言語よりもそうした環境の方に重きを置いて分析をすると、確かにそれは「言語の分析じゃないじゃん」に見えることもあります。そういう立場の方もいらっしゃいます(この辺りは、思うところが沢山あって私の中でもまだ考えが熟していません)。

分野として分化してしまったので、人間のコミュニケーションを言語形式に力点を置いて説明するか、他の要素に力点を置いて説明するか、また他の色々なものによって、異なる研究分野になります。

また、力点を置くところが違うがゆえに、その分野で明らかにしようということがらも変わってくるのだと思います。

この辺りは私も不勉強なので、もしこちらを読んでくださった方でご意見があれば、遠慮なさらずに教えてください。

 

そんな私が自分の専門を言語学であると言い続ける理由としては純粋に「言語学」として扱われている現象や説明方法が好きで、納得できるものだと思っていて、そこに自分も寄与したいと考えているから。

何も考えずに使ってきた文法、語彙(と言語使用)が、実はとてもシステマティックで、しかもその直感を少なくとも母語話者は共有できているということの面白さに、魅了とまではいきませんが惹かれ続けています(ここは長くなりそうなのでいつかにまわす)。

 

それで、これまでも言語学の範囲内で活動をしてきたわけで、知識や考えは、言語学の潮流の中で形作られてきました。

このあたりから人類学の文献を読んでいる話と関わってきます。

 

文献を読む中で人類学の方とお話をさせていただくと、圧倒的な知識の幅の差に愕然とします。

哲学、歴史学、宗教学、言語学社会学…。

この人たちは人間を形作るものの全てを掌握しているのではないかと錯覚に陥るほどです(言い過ぎ)。

私も上にあげたような学問に興味はありますが、ミーハーなので、しっかり勉強せずに終わってしまいます。

ですから、さらっと上辺を撫でただけのような知識しかありません。

それぞれの分野の潮流も恥ずかしながらほとんど分かりません。

 

それで、どうしてこんなにこの人たちは色々と知っていて、考えがあって、自分のことばで説明できるのだろうと常々考えていたのですが、今のところ、私が大学時代に受けた教育が「言語学」と呼ばれる範囲に収まる事柄であり、学問が分野に分かれているという前提があったからというところに行きついています。

つまり、私は「言語学」をしていて、ほかの人も「〇〇学」をしている。なのにどうして、哲学、歴史学、宗教学、言語学社会学といった幅広い分野の知識を同じ期間で得ることができたの?という疑問でした。

 

無知な私にとって、つい最近までこの疑問がただの疑問でした。

それでやっと「リベラルアーツ」という概念を、音だけでなく意味として理解することになります。

古代ギリシアアリストテレス、自由七科…高校の世界史で「リベラルアーツ」と聞いて想起される語群です。

が全く本質的なところを理解しようとしていなかった。

 

(まだ付け焼き刃な知識ですが)

リベラルアーツとは、古代ギリシア・ローマに起源をもつ学問で、人を自由にするための学問、語義そのまま、リベラルな(自由にするための)アーツ(技)ということ。

生きづらさ・不自由さからといった何らかの縛りから、人間を解放し、人間として生きるための術を獲得する学問だと解釈しました。

そのため、一般に「文系」と呼ばれる、人間の本質的な部分を明らかにしようとする学問分野の全てが関わります。

私がなんでも知っていると思っていた方は、以前リベラルアーツを専攻されていた方で、文字通りなんでも知っていたのです。

分野に縛られることなく人間そのものに関して思考していたために、分野の概念があった私にとっては「色々な分野の知識がある人」に見えたということでした。

 

これだけのためにダラダラ書いてしまいましたが、私もこのリベラルアーツという考え方に大変興味があり、勉強してみたいと考えています。

ということで、インターネットで見つけた参考になりそうなサイトをここに貼って、今日は終わりにしようと思います。

https://liberal-arts-guide.com/

 

世界を知るのにはほんとに一生は短い。しかも時々怠惰な生活もしたいので、本当の本当に短い。